死亡した犬

幸せにしてあげる事が出来ないまま死亡した犬です(2004年以降)

2009.1.22 キョウジ

     

2007年11月に死亡したキョウタの兄弟のキョウジが死亡しました。
この犬は狭い檻の中に入れられたせいか足が湾曲してしまい、それが歳をとるごとにどんどん酷くなっていきました。
キョウジが亡くなる1ヶ月前の12月22日に様子を見に行ったのですが、その時は高齢に加えて極端に湾曲した足で立っているのもやっとの状態でした。
2008年5月に亡くなったトラとは仲良しでサークル内でも散歩でも常に一緒でした。
とても人懐こく、他の犬とも喧嘩をしない穏やかな犬でした。
2009年1月22日新潟市管轄の倉庫内で死亡。

2009.1.9 ピッピ

     

2008年度末に死亡した しいちに続いてピッピも新潟市管轄の倉庫で亡くなりました。
死因は2006年11月1日に亡くなった ジジと同様肺炎にかかり亡くなったそうです。
比較的若い犬だったために予想外の結果に心の準備も出来ておらず、この話を聞いた時はしばらく呆然としてしまいました。
人間には少し怖がりな犬だったのですが一番の好奇心旺盛な犬で、何事にも恐る恐る近づいてきては興味を示していました。
散歩も好きな犬で催促に吠えまくりで、先に亡くなった しいちとよく一緒に散歩させていました。
ストレス解消のためか、自分の敷地に穴を掘りまくって体はいつも泥まみれでした。
ピッピと同じ顔の兄弟犬 カイは現在新潟市の違う抑留所にて保護されています。
2009年1月9日、新潟市管轄の倉庫内で死亡。

2008.12.29 しいち

     

飼い主が現場を立ち退いた後、どうしても犬の所有権を譲らない為に、犬たちが異例の保健所管轄での保護となり半年が過ぎました。
保護場所は倉庫の一角となり、フードも毎日支給され雪や雨風からは身を守れるのですが、暖房機器も無く狭いケージに入れられたままの生活となってしまいました。
散歩などの世話をしたいと申し出ましたが、所有権が飼い主にあるため世話はおろか面会も滅多に出来ない状況です。
そんな中、寒さで体調を崩したのか老犬の しいちが亡くなりました。
しいちは活動当初から他の犬よりは比較的に人を恐れない犬だったため、譲渡可能の犬としてリストアップしていましたが、飼い主の執着が強く、譲渡までは至りませんでした。
白くて小さい犬だったために しいちと名づけたそうです。
この子の兄弟で足に障害を持ったチエちゃん(♀)は活動当初にスタッフが引き取ることが出来ました。
活動開始後は早くから人馴れした犬で、他の犬とも争わないおとなしい犬(新入りの犬には何度か威嚇してた)だったのですが年を越す事が出来ずに2008年12月29日、新潟市管轄の倉庫内で死亡しました。

2008.7.1 トラ (オス)

     

2007年の12月から顔が腫れてきて12月31日に獣医から癌と診断されました。
曲がった牙が特徴でしたがそれが原因なのか左上顎が腫れてきて、腫瘍が目の方まで進んでいました。
2008年4月27日に診察してもらった時には頬の左の方は溶けてえぐれ、おそらく脳まで進んでいるとのこと。
その時あと1~2週間と診断されました。
トラとの思い出は2004年10月に譲渡されたムクに対して異常なほどのライバル心を持っていて、お互いが向かい同士に配置されて吠えあっていました。
当時、トラを撫でてやろうと近づくと逃げ回るくせに、その足で向かいのムクを撫でに行くと嫉妬して物凄い吠えまくり、そして再びトラに行くとまた逃げ回る。
「お前はどっちなんだ?」という感じでした。まあ、それがまたかわいかったんですが・・・
ちなみにトラに向かうとムクが吠えまくりでした。(他の犬に向かうとお互いとも吠えないのに)
ムクは飼い主が途中から連れて来た(放浪してるのを捕まえた?のかもしれない)人懐っこい犬なので貰われていきましたがトラには残念ながらチャンスが訪れませんでした。
2006年5月にはノーリードで自由に動き回れるサークルを作成、その記念すべき第1号サークルにトラと仲良しのキョウジが入居しました。
今までずっとつながれっぱなしだったトラとキョウジは、けっこう大き目のサークル内をぴょこぴょこと意味も無く動き回っていて、自由に動き回れる事を満喫していました。
ストレスが軽減出来たのかだんだんと顔つきも変わってきて、散歩させようとサークルに入ると自分から近づいて来るようにもなり、その事が唯一良かったかな?という感じです。
散歩もしない、具合が悪くなっても獣医に連れて行かない(行けない)飼い主が、死ぬ直前になってから自分の出番だとばかりに行う自己満足の為の医療まがい行為。
恒例の弱っていて嫌がる犬に対して無理やり口をこじあけて缶詰やミルクを詰め込むだけでは物足りず、どこから調達したのか一本の同じ注射器で一日に何度も点滴するなどその行為は日に日にエスカレートしてきてます。
飼い主の自己満足の為にトラには辛い思いをさせてしまいました。
2008年5月1日、病気の為に現地で死亡しました。

2008.3.31 ハチ (オス)

     

近くを通る犬には♂♀関わらず奇声をあげながら襲い掛かる犬。
人間には♂♀関わらず股間やお尻に鼻を埋め、そして足にしがみつき腰を振る犬。
そのインパクトの強さから圧倒的な存在感で親しまれていた闘将ハチが逝ってしまいました。
てんかん持ちで、他の犬に興奮した後や真夏の暑い日の散歩後などに何度もばったりと倒れて動かなくなったりと随分お騒がせな犬でした。
フィラリアの進んでいる老犬で、最近では、あの喧嘩屋が他の犬への威嚇もあまりしなくなり、冬場は犬小屋の中に入っている機会が多かった為に心配はしていたのですが、冬を越えてこれから過ごしやすくなる季節を迎えた矢先の突然の悲報でした。
2008年3月31日現地で死亡。

2007.11.21 キョウタ (オス)

     

ケンタが死んですぐ東北・北陸地方に寒波が襲い、この時期では異例の大雪に見舞われました。
その影響か老犬ハウスに入っていたキョウタの容態が急変しました。
最後は立ち上がる事も出来ず寒さで震えていました。
ホットカーペットを敷いたりしましたが結局容態は良くならず永眠しました。
数年前に眼球が飛び出てそれから目が陥没、視力が無くなり耳もほとんど聞こえない老犬です。
この犬の為にトラとキョウジと一緒にノーリードで自由に歩きまわれるサークルを作ったのですが、飼い主が餌をあげるとき面倒だと駄々をこねて結局キョウタだけ1匹老犬ハウスに入れることになりました。
雨風はしのげるのですが仲間のいない孤独な状態にしてしまったのが今になって後悔しています。
飼い主の話ではキョウジの兄弟で一緒に京ヶ瀬で拾ってきたそうです。
2004年11月に現地で死んだ「おじょう」も兄弟だとか・・・・
あくまでここの飼い主のお話なので信頼性は???
2007年11月21日現地で死亡しました。

2007.11.16 ケンタ (オス)

     

ここの飼い主がこの場所に移り住む時に一緒に連れてきた犬で、多頭現場開始当初から居た犬。
もともと「普通」の人に飼われていた犬を、ある事情で引き取っただけあって、昔から居る犬の中では唯一人馴れしている犬でした。
人にも犬にも優しい犬で温厚で穏やかな性格でしたが、体が大きく高齢でさらには飼い主の執着も強い犬だったのでなかなか譲渡のチャンスに恵まれませんでした。
高齢に加えて十分な散歩もしてあげられない為か徐々に足腰が弱ってきて、やがては重い体を支えきれなくなり寝たきりの状態になりました。
寝たきりの状態になっても飼い主は世話もせず、、スタッフが交代で何度も現場に足を運んだのですが、ずっと付き添って世話をしてあげる事は現状では出来ない為、やがては床擦れで肩と頬の下に壊死を起こし、体を拭くのも嫌がるようになりました。
犬の世話は私たちが行っているのですが、決定権は飼い主にあり、飼い主の承諾を得ないと病院に連れても行けない勝手な事が出来ない状態というのが現在一番の問題点でしょうか・・・・
最後は苦しませてしまい、2007年11月16日現地で死亡しました。

2006.11.1 ジジ (オス)

     

10月11日の作業日に呼吸が荒く元気のない様子のジジ、飼い主に聞いたところ昨日から全く食べてないという様子。
スタッフが病院に連れて行きましたがレントゲンが撮れる状態ではなくしばらく酸素ボックスに休ませてからの検診。
結果は重度の肺炎、そのまま入院となりました。
退院後投薬をしながら様子を見ていましたが11月1日の朝、再び倒れ飼い主が病院に搬送する途中に息を引き取りました。
ここの現場で生まれ育ち、始めは重度の人間恐怖症でしたが飼い主にはなついていました。
生まれて初めて散歩させた時、途中で腰が抜けたように地面に平伏せて動かなくなり飼い主に迎えに来てもらったら立ち上がって歩き出した時の事が思いうかびます。
一応飼い主なんだなと思いました。
しかし、具合が悪くなっても病院には連れて行かず手遅れの状態になってからやっと動き出す飼い主、退院後も完全に人馴れしていない犬はスタッフでは保護できず飼い主に任せるしかないのが現状です。
現場で生まれ7歳くらい、始めは体にも触らせてくれなかったのですが散歩も自分から催促するようになるまで変化していただけに残念です。
この犬の母親は人馴れしてくれて、現在譲渡され室内犬として幸せに暮らしているのですがジジは現地で生まれ育ったためなかなか人馴れしてくれませんでした。
2006年11月1日病気のため現地で死亡。

2006.7.30 ウォーカー (オス)

     

ここの犬の中で一番の大食い犬でフードをあげるとほぼ丸呑みで一瞬でたいらげてしまう犬でした。
綺麗な毛並みに引き締まったたくましい体でしたがかなりの怖がり犬でした。
散歩から帰って来てすぐゲーゲーハーハーとかなりの息づかい、暫くたっても直らず、そして嘔吐から立ち上がれない状態になりました。
一旦立ち上がって普通に歩き回ったので安心したのですが、またすぐに、ハーハーと地面に這い蹲り立ち上がれなくなり足をバタバタ、最後はケイレンを起こし苦しそうに泣いて、そのまま目と口を開いたまま息を引き取りました。
飼い主の話ではこれは毒による症状で、近所の農家では草むらに昔の強い農薬を撒くと言っていました。
突然の出来事にしばらく無言で見ていることしか出来ませんでした。
2006年7月30日現地で突然死により死亡しました。

2006.5.23 ベッキー (メス)

     

2005年2月に死亡したラッシーの姉妹犬、ベッキーが亡くなりました。
大柄な体格だけあってここのメスの中ではリーダー的存在で、他のメス犬は近寄りがたい存在でした。
人間には少し怖がりで近寄ると逃げていくのですが、隣の犬(アトム・メス)を散歩させる為リードを付けようとしゃがんでいると、背中に乗っかったり、体当たりしてきたり、前足で「トントン」とたたいてきたりして「私のほうが先よ」と言いたげに散歩の催促がすごい犬でした。
1ヶ月前の4月23日に顔が大きく腫れているのを確認、病院では歯肉炎ですぐには問題は無いということでしたが、少し前から足を引きずっているのも気になっていました。
散歩のとき次第に歩かなくなってきて、突然容態が悪化して飼い主が病院に連れて行く為、車に乗せようとしたとき崩れるように倒れこみそのまま死亡したそうです。
1週間前に自由に歩けるように大きなサークルを作ってノーリードの状態にしていたのですが楽しむ暇も無く逝ってしまいました。
飼い主がここの地に来てすぐ兄弟で拾った子らしく、10年から11年くらい生きたそうですが2006年5月23日現地で死亡しました。

2006.2.7 ボス (オス)

     

ここの犬の中では一番の甘えん坊で寂しがりやの犬でした。
散歩の催促が凄くて、この犬だけ1日に散歩を2回、3回とする時もありました。
初めは普通体型(一番左写真)だったのですがだんだんと太ってきて、不自由だった片足にさらに負担がかかった為に動かなくなりますます太っていきました。
冬になって元気が無くなり、犬小屋の中に閉じこもっている事が多くなったので老犬ハウスに入れましたが、2月7日息を引き取りました。
飼い主が朝に犬小屋の中で動いているボスを見て、夕方に見に行ったらそのまま眠るように死んでいたそうです。

2006.1.27 ししまる (オス)

     

今年の夏はもたないだろう、今年の冬は駄目だろうと言われながら何年も乗り越えて来ましたが、とうとう力尽きました。高齢で目も見えず痴呆も進んでいて、冬になってからは立ち上がることが出来なくなり寝たきり状態になってしまいました。
2006年1月27日に容態が悪化して病院に運びましたがそのまま息を引き取りました。
自分では食事を取ることも出来ず、排泄物も垂れ流しのただ生きているだけの状態だったのでようやく楽になれた事にほっとしています。

2005.7.18 JJ (オス)

     

ここの現場で一番性格が良く、他の犬とも喧嘩をしないやさしい犬でした。
人が近づくと飛びついたりお腹をみせたりとはしゃいで、散歩の時も凄い勢いで駆け出してとても元気な犬だったのですが、ある日突然元気がなくなり、診断の結果フィラリア末期でした。
JJの最近までの元気な姿に誰もがこうなるとは想像できませんでした。
7月18日にフィラリアと診断されちょうど1ヶ月後の8月18日に現地で死亡しました。

2005.4.2 ポコ (オス)

     

とても人馴れしているおとなしい犬でした。
臆病な犬で他のオス犬にブルブル震えていました。
リードが外れてそのまま逃走し交通事故に遭ってしまいました。
2005.4.2 死亡しました。
飼い主が発見した時には既に死亡していたそうです。

2005.2.24 ラッシー (メス)

     

体は大きいのですがとても臆病な犬で、人間が近づくと可哀想になるくらいに吠えまくって自己防衛していました。
長い間酷い下痢の症状が続き、脱肛になり肛門から腸が飛び出したりして入退院を繰り返していました。
劣悪な環境、寄生虫や鞭虫、ストレスなどで癌や病気にかかる犬が後を絶ちません。
昨年の12月に倒れて腫瘍を摘出し、2日前にもすい臓や肝臓付近にも腫瘍が見つかり、すい臓からのインシュリンが空腹時でも常に出ていて低血糖で倒れるという症状が続きました。

2004.11.10 おじょう (メス)

なぜ、死ぬのはメスばかりなのでしょう?

     

高齢の犬でしたが他のメス犬には気の強い犬でした。
この犬は、いつも足にリードをグルグルにからませて動けなくなっていたのが印象に残っています。何回直してもすぐからまっていました。
2004.11.10現地で死亡しました。
現場にはおじょうの娘の幸(さっちゃん)とミミが、まだ人間に馴れないまま暮らしています。彼女達には幸せになって欲しいと願います。

2004.8.2 ロク (メス)

     

2004.3.10 癌と診断されました手術するとあごをほとんどとらなけれならず、再発の可能性も高いという事、また、高齢の為手術はしないほうがいいという獣医の判断でした。
抗生物質、痛み止め、止血剤を投与し少しでも負担を取り除こうとしましたが口や胸元、地面が血で染まり下顎も無くなってきて見るに見られない状態となって行きました。
2004.8.2現地で死亡しました。
最後まで苦しい素振りは見せず必死で生きて来ましたがようやく楽になる事ができました癌と宣告された時、余命2ヶ月と診断されましたが5ヶ月間頑張りました。

2004.7.28 ランちゃん (メス)

     

現場に居る時は吠えますが、散歩に連れ出すととてもおとなしく、手を差し出すと近寄ってきて撫でさせてくれました。
今まで長い間、劣悪な環境で育ってきたため、フィラリアや寄生虫による下痢で苦しみ、また高脂、高塩分の残飯を与えられ、内臓にも影響が出ていたのかもしれません。
2004.7.28 連日の猛暑により体調をくずし現地で死亡しました。
体調が悪かった事に気付いてあげることが出来ず残念です。

2004.7.9 たまこ (メス)

     

目の不自由なとてもおとなしい高齢犬です。
老犬ハウスにいて、目が見えないのですが、人の気配を感じると近寄ってきて甘えてきました。
散歩が好きな犬で、以前目を放した隙に1匹で歩き回り現場から離れた用水路に落ち、キューン、キューンと泣いていました。
2004.7.9 連日の猛暑に耐える事が出来ず死亡しました。

2004.6.11 ようちゃん (メス)

     

2002年10月19日のようちゃん。
作業し始めの頃、痩せていました。
おやつをねだっているようちゃん。
この頃すでに癌に侵されていたのでしょう。
2004.6.11 癌の為、入院先の病院で死亡。

2004.6.3 ごんちゃん (メスなのに・・・)

     

先の折れた耳が特徴の人馴れしていない犬でした。
まだ、先のある若い犬でしたが結局、幸せになる事が出来ず、2004.6.3 現地で不慮の事故により死亡。

2004.4.23 ベニコ 又の名前 ぶんちゃん (メス)

     

2004.4.16の写真。
この日、苦しそうだったので病院に連れて行きました。
フィラリアの末期で腹水を抜いて弱っている様子。
後は死を待つだけ 何もできず 死亡する3時間前の様子。
腹水を抜いてからずっと寝たきりだった犬が、最後に立ち上がり2回鳴いて数歩歩き回り倒れる。その後撮影した写真、2004.4.23 死亡。

2004.1.15 デビちゃん (メス)

 

2004.1.15 現地で死亡

フィラリアの進んでいた犬で連日の寒さで体調をくずし、犬小屋の中で毛布に包まれたまま死亡

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